不倫という純愛 [不倫]
憧れの関係という人もいて、人それぞれに言葉に対するイメージや想いは
違うものだと実感します。

世の中の全ての人間が同じ方向を見ていたら、そりゃかなり気持ち悪い話
になってしまうので、いろいろな考え方を認め合う多様性が大切であると
思うわけで、そういう視点で見た場合、不倫も一つの純愛ではないかと、
私的には思います。
不倫をトコトン許せないと書いてある本の著者の方は、不倫関係を一組が
結ぶ事によって、どれだけの人間が傷つくのかという視点で、不倫という
関係を糾弾されているわけですが、親や兄弟、配偶者を傷つけないために
自分自身は愛の冷めた結婚生活を続けるという忍従を強いられても仕方が
ないということになるのでしょうか?
と言うか、一つの常識として不倫=SECRETLOVEを家族にバラすなんて事は
普通はしませんから、関係が出来ただけで家族や親族を傷付けるなんて事
あり得ないと思いますが、いろいろな場面もあるでしょうから、全くない
なんて、ムキになる気もありませんけどね。
婚姻関係が破綻している、または、結婚している二人の間に何らかの問題
または、問題とまではいかないまでも小さな棘があるがために、配偶者の
他の人に愛を求めるのではないかと思いますが、どうなんでしょう。
また、ここ数年の傾向として愛も恋も関係なく、ただ肉体的な焦燥感から
渇きを満たすためのセックスをする関係(いわゆるセックスフレンド)を
作るという動きもあり、これなどは心が繋がっていない場合が多いので、
不倫だとは言えない様な気がしないでもありません。
動物的な本能で言えば、オスはとにかくなるべく多くのメスに自分の精子
を注ぎ込みたいと考えますし、メスはより優秀なオス(外見、知力、体力
生命力がある)の精子を受け入れたいと考えているわけで、選択肢の中に
独身限定という括りはないと思うんですよね。
だから理想的な結婚相手は、経済力があり、干渉しない、優しいタイプで
不倫相手はお金がなくてもいいから、優秀な子どもを残せそうなタイプが
選ばれるという説もあります。
つまり不倫相手の子どもを作り、結婚相手の財力で優秀な子に育て上げる
というのが、したたかな女性の画策する結婚生活だというわけです。
ですから、経済面や生活面などの打算的な面で繋がっている結婚よりも、
本当に相手の子どもを産みたい、と考えて繋がっている不倫関係の方が、
より純粋な気持ちで関係を継続している純愛なのではないかという見方で
賛同者は少ないかも知れませんが、一つの視点だと思います。
また婚姻関係を結んでいても、セックスの相性が悪いからとか疲れるから
というような理由で、一ヶ月以上もセックスをしていない関係だとしても
それぞれに恋人がいたとしたならば、恋人とのセックスや恋愛関係の醸成
によって、婚姻関係の方でもセックス以外の面では相手の事を理解しよう
というような相手を慈しむ気持ちが出てくるのではないかと思います。
不倫関係の形もいろいろなら、愛の形もいろいろで、単に婚姻関係以外の
恋愛は全て否定して、婚姻関係の修復に励むべきであるという論調に適合
するような人生を送るには、人の一生は短すぎるのではないでしょうか?
いろいろな恋をして、いろいろなセックスを体験して、一度きりの人生を
充実させて思い残す事なく死んでいけたら、そんな幸せな人生はないと、
私は思います。
人に迷惑をかけるからと萎縮して、自分自身の人生を楽しめなかったら、
折角、この世に生を受けたのにもったいない気がしませんか?
私は思うからこそ、少しでもセックスを上手くなって、いろいろな女性と
セックスをしたいと思いますし、恋愛に悩む人のメール相談にも、微力を
注ぎ続けたいと考えているのです。
とにかく不倫も立派な純愛だと、私は思っています。
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